ゆりかの戯言。

ミーハー。客観的にみるとイヤなやつ。

10周年だから言いたいこと

ヨーロッパに行きたい!と意識的に判断したのは覚えてないけど、小2の頃の私が流れに身を任せた結果今に至る。

 

ドイツ語はもちろん英語も全然できないなか当たり前のように現地校に転校、初めの半年ほどは泣いて過ごしていた。らしい。周りの人が言っていることが一言もわからないから泣く、慰めにきてくれるクラスメイトもドイツ語だからそれもわからなくてますます泣く。学校全体が多国籍だったので(思い出せるだけで15カ国の子供達がいた、ちなみに日本人は弟と私のみ)馴染むのに時間がかかったほうではあるのかもしれない。その頃の同級生や先生方のサポートもあり今ではドイツ語も英語も割と流暢に話せる。と思っている。語学学校に通ったことはありません。

「ドイツ語ネイティブじゃん」と言われるより「海外で育ったにしては日本語上手だよね」と言われたほうが嬉しいかもしれないけど複雑でもある。読書のおかげで読めるし家で日本語を話していたおかげでコミュニケーションはとれるがそれでも「海外で育ったにしては」という枕詞はきっと一生取れないからだ。わざわざ言われるということに関して ① 私の日本語に違和感がある ② 思ったより上手い のどちらかの解釈が当てはまるのではないかという気がしているのだけれど見極められない。①だった場合は私の勉強不足だし皮肉な香りがしてその場の全員が残念。②だったら期待値が低かったことが残念。だからなんだよみたいな話です。いつか正しい敬語と小学校中学年で止まっている漢字を勉強したい。

ちなみにワンダイレクションにハマっていた時は英語が上達したしジャニーズを追い始めてからは日本語の幅が広がっています。

 

振り返ってみて初めてのカルチャーショックとキャラ変は『自分から行かないと何もできない』ということを学んだとあるワークショップの時。あるテーマについて勉強したことを数人ずつのグループに分かれて自分たちのラジオ番組を作ろう!という企画があって、「はい、資料集める人〜?」「台本書く人〜?」「機材取りに行ってくれる人〜?」と次々係が決まっていくなかまた取り残されていく自分がいた。

欧州だからなのかそれに加えてドイツ語圏だからなのかわからないけど、同年代の子達の自己主張が強かった。日本でも別に引っ込み思案とかシャイとかではなかった気がしていたんだけども(むしろ元気で強引な方のキャラ)、引っ越して来てから競争率というか闘争心(?)みたいなものに負けっぱなしだった。言語ができないことを引け目に感じていたし、「これやりたい!」「私がやる!」という精神が周りに比べてなかったし、どちらかというと「あっじゃあどうぞ」と譲る又は諦めるのが性だった。そのワークショップの前も学校で班行動の時に発揮されていて、「ちょっと違うな」とは思っていた。当初ドイツ語のできない転校生だったからかクラスメイトや先生に気を使われて渋々割り当てられたことをこなすぐらいしかしていなくて、これではダメだな〜と。当時は無意識だけど。日本の小学校では周りの消極的だったり合わせたりしていた同級生との相乗効果でいわゆる面倒くさい女子になり得ていたんだなと。あと言葉の壁は高くて厚い。

ともかくそのワークショップの時、私は自ら立候補してみんなのラジオ番組の司会役をした。いきなりすごいことしたよ私、気づいてる私?その場にいる誰よりもドイツ語歴が短かった自信がある。結果的に楽しかったしやりきった感あったしある種のターニングポイントになったのは間違いない。

 

言語やスタンス以外に慣れるのに時間がかかったのはジロジロみられること。顔がザ平たい顔族なので、今よりよっぽど現地在住アジア人が少なかった当時は「みられている」と感じることが多かった。子供心にも居心地が悪かったこともあったけど、向こうからすればただの好奇心だったんだろうな。2017年現在においてそんなことはもう全然ない。白人じゃない人口の割合が圧倒的に増えたし、観光客も日に日に多くなって来ている気がする。友達の地元の村とかに行けばまだまだみられるけど、目を見てにっこり(オプションでハキハキ挨拶)、愛想を振りまくことにしている。

前回一時帰国した時に「ねぇ、日本で外国人見かけるとなんか安心しない?w」「するする!」と弟と共感しあった。目がアジアに慣れていないのか。なんやねん。

 

愛想といえばアレだ、日本人いやアジア人全員に『旅の恥はかき捨て、じゃねぇ!』ということを伝えたい。見た目だけですでにアジア全体のイメージを背負っているつもりで海外に出て来てほしい。「あれは〇〇人だから…」なんていうのは黄色人種の見分けがつかないヨーロッパ人には通用しない。頭のカタい保守的な考え方(ナショナリズム的な意味も含め)をする人なんて各時代各世代にいるんだから、一度公共の場でアジア人が迷惑をかけたりしたらそれがアジア全体のイメージに繋がり得ないことを常に意識してほしい。ぱっと見日本からのツアー中だとわかったおばさま方が地下鉄の駅で座り込んで自分たちの脚をマッサージしているのを見かけたときは恥ずかしさで死ねると思った。大げさに聞こえるかもしれないけど、あの人たちと同類だと思われたくないと思った。普通にお行儀が悪いでしょうそれは。旅先で無作法であることが現地に住んでいる平たい顔族の対人関係、人間関係に関わってくる可能性を秘めているのに気づいてください。『立つ鳥跡を濁さず』です。個人的に数年前「日本のイメージ良いよ、ゆりかがいい人だもん」と言われてから特に気をつけている部分です。

弟は現地の国籍を取ることも考えているみたいですが、「もし国籍が変わっても見た目は一生日本人だから立ち振る舞いへの気の使い方は変わらないよね(笑)」と言っていました。(※ニュアンス)意識して気を使っているというよりは自然にそうなっています。そしてそれが理想だと思います。

あと十月から公共の場で顔を覆うベールの着用が禁止される前からマスク付けている人は浮いていたことを書き残しておく。周りをみてください、って言いたかった。『郷に入っては郷に従え』、よろしくお願いします。ついでにいうと姿勢良くシャキシャキ歩いてください。よろしくお願いします。

 

父曰く「将来的にはグローバルな人材になって世界を一つにしていくんだろうなぁ(冗談)」

 

…自分で言ったら終わりですができれば無意識に国際感覚が育めれていれば良いな、気張らなければ。

日本人であることを誇りに思いつつ気負いすぎずに早く進路を決めたいと思います。(遅い)

 

他になんか思いついたら追記しよっと。今はとりあえず寝る。