ゆりかの戯言。

ミーハー。客観的にみるとイヤなやつ。

アジア人ジョークを許せるか

友人A(白人)「最近ニンジンばっかり食べてて肌がだんだん黄色くなってきたんだよね」

私(黄色人)「じゃあ私のご先祖様たちはニンジンばっかり食べてたのかな」

友人A&私「wwwww」

というやりとりをこの間した。

 

インスタグラムで検索のための虫眼鏡マークを押すとおすすめのユーザーや写真が出てくるけど、数日前、なぜか私のフィードは #PraisinTheAsian の投稿ばかりだった。調べてみるとミスワールド等の賞が今年は全てアジア圏の女性に与えられたかららしい。このハッシュタグはある学生が自分の課題のためのプロジェクトとして使い始めたものであって、全世界の(アジア系)ユーザーが自撮りや自分のルーツ、差別的な扱いを受けた時のこと、見た目やルーツに関して言われて嫌だったことを取り上げている。

主にあったのは『アジアは中国と日本と韓国だけじゃねぇ』というもっともすぎる意見というか事実であって、ユーラシア大陸的に(しかも単語的には欧州側からみて)極東ではなく中東も近東も東南も全部アジアやでという主張。まったくその通りでしかないわけだけど「アジア」という単語を使う時にそんなに広い範囲の話をしている人はあんまりいない気がする。実を言うと私もそこまで考えていないことのほうが多い。だけど別に限定しているわけではないのでなんかあやふや。「あっちのほう」みたいな意味で言ってる。

見た目の差別はやめようという当たり前の風潮、偶然にも今年度の生物のプレゼンのテーマが『肌色』だったのも重なり興味がある分野でもある。授業の内容的には遺伝学なのだけども、ネットで調べているとナショナリズムに近い意見があったり、進化の過程の仮説がいろいろあったり、面白い。

なぜいろんなトーンの肌色があるのか、というシンプルな疑問の答えの中で私が一番しっくりきた進化論のステップをリストにしてみると、

  • 今現在ヒトに近いと言われている猿、例えばチンパンジーやオランウータンは毛深いけども実際の皮膚は色が薄い
  • アウトオブアフリカ(人類がアフリカから全世界に進出した)説をもとにすると、皮膚の色が薄い霊長類から発達したはずなのに、その地域に住んでいる人たちの肌色は濃い???
  • 二足歩行に伴い日光が植物等に遮られない場所で過ごす時間が増える → 体に吸収(?)される熱が増えて、発散するために発汗が促進される → 汗を流れやすくするため体毛が薄くなる → 皮膚が前より日光にさらされる → 葉酸等体内の成分の一部が紫外線に弱いけど絶対必要!守らなきゃ!→ メラニン色素の分泌が促される → 肌の色が濃くなる → アフリカ大陸における日照時間や紫外線の強さで肌の色がますます濃くなる → 地球上の違う場所では日光がそんなに強くない → ビタミンDを生成するのに紫外線が足りない!→ 肌の色薄くしなきゃ!→ 例:北に行くほど日照時間が短いから色白になっていく → 例外:イヌイット(ビタミンDを食生活でカバーできるので肌の色がそこまで薄くなる必要がなかった)

ということになる。大変読みにくい上に日本語で調べたわけじゃないので適切な単語が使いこなせていないし後半に溢るるテキトー感。ニュアンスで汲み取ったりググったりしてください。(結局丸投げ)

 

10年間ヨーロッパのまぁまぁ白人な社会で生きてきたわけだけども。

ブラックジョークで笑えるか、と訊かれると個人的な答えはYESになる。ある程度の偏見をどう消化していくかはそれぞれ違うだろうけど、この国において基本的に日本人の印象が良いからなのかもしれない。礼儀正しくて信頼できる、というイメージを作りあげてきた先人の皆様には感謝しきれないし、ポジテティブな面はなるべく継承していきたい。

いろんなエスニシティとアイデンティティに関わりつつ、偏見にはある程度の根拠があることも学習した。第一印象や先入観は簡単に覆せないから、一般的なイメージに当てはまらなくて苦しむ人もいることも。

エスニックアイデンティティ+見た目+国籍+住んでいる場所のコンビネーションは無限にある。

 (エスニック、という言葉のニュアンスだって本来はちょっと違う。エスニックな服とかエスニックな料理とか言うけど、着物だって和食だってエスニックなんだよ。エキゾチックだって同じことだよ。エスニックは民族的、エキゾチックは遠い国のもの、それだけで地域は特定されていないんだよ本当は。)

 

例えば「アジア人は体が小さい」だけど、 実際黄色人の体格は多人種に比べて平均的に小さい。その差が現代の食生活etcにおいて縮まってきているのかもしれないけど歴史的にみたら圧倒的に小さかったんだからそういうイメージになってもおかしくない。こんなことを書いている本人もしばらーく前に縦の成長が止まって152センチ、学年イチのチビである。一番背の高い同級生は確か190近くある。小さい学校なので学年全員で40人ほどですが唯一の日本人というかアジア人は私だけです。

今日もクラスメイトとそんな話をしていて、「ゆりか、私が8年前に入学した時よりちっちゃいじゃん!」となったりした。私のリアクションは「えっまじで?www」。

チビジョークは個人的に全然嫌いじゃない。クラスのチビランキング2位との差、ズバリ7センチ。幼稚園の頃から前に習えの時は腰に手をあてる役だったし集合写真はかならず一番前。ダントツで小さいのでアジア圏でもよくある小さいイコール可愛いみたいなブランディング(偏見)が勝手につきました。可愛くないけど。152、と言うと大抵周りが思うより小さいみたいで…まるで態度がデカイから気づかなかった、みたいなねぇ…そんなことねぇ…

満員のバスの中で「うわっ見えてなかったごめんね!」と言われたところで結果的に見えたんだから別にどうでも良いし。よっぽどぎゅうぎゅうに押されたら声かけるし。

体格的に小さいことで不利なことより得なことのほうをみていたいよね。

学年一チビだけど座高は誰よりも高いんだぜ!姿勢が良いからかな!あはは!(シーン…)

165って数字良いよね…でも伸びるなら脚が伸びたいな…なんかの健康診断で154を叩き出したことがある気がするんだけど気のせいかな…夢だったのかな…

 

私の定番が「チビ」なら弟の十八番は「目が細い」アレです。カリカチュア等ではツリ目気味の線で描かれていることが多いアジア人だし、特に一重まぶただとコンプレックスに思っている人も少なからずいる気がする。その証拠にやたら二重にしたがるしパッチリアイメイクに走りがち(偏見)。

見た目的なアレでネットで読んで一番イラっとしたのはアメリカのティーンのツイッターのスレッドだった。まとめると「アジア人は色白になりたいし目を大きく見せたいし痩せたいし脚が長くなりたいんでしょ、白人を目指してるんでしょ」という話。別に理想があったっていいよね…そんなことより世界の一般的な理想が偏っていることを批判したらどうかな…そんなことを呟きながらプロフィール画像のメイクは完全にカーダシアン寄りじゃんね…別に良いんですけど。

私は一重だけど二重にしたいと思ったことないんだよね〜。極端な話をすると胸と同じで、そこにすでにあるものを形良く綺麗にみせたいだけであって大きさとかを変えようとは思わないんだよね〜。寝不足が続くと右目だけ二重気味になるけど。朝アイメイクする時に大変面倒くさい。

 

弟の友人「大丈夫?見える?w」

弟「いやちょっと視界狭いんで難しいw」

 

最近あったのは「アジア人ってアルコールに弱いんでしょ?」「いや知らんし」というやつ、調べてみたら体がアルコールを処理する時に必要なアルデヒド脱水素酵素ALHD2という成分をモンゴロイド人種の50%ほどしか遺伝的に持ち合わせていないからだった。牛乳もなんかそんな話聞いたことあるけどそれは確率が5%とかだったような気が。

 

文字に起こすと差別的にしか聞こえなくても、言った人の意図、言われた人の受け取り方、関係性によるよね。

 

友人B「ゆりか今日食べに行くとこココで良い?」

友人C「ゆりかは米があればどこでもいいっしょw」

私「ねえww」

 

「アジア人は頭が良い」も定番だよね。アジア圏外の映画やドラマや本でもアジア人(だいたい極東方面)が出てきたら頭脳派のことが多いよね。なんでだろう。

 

友人D「えー今回のテストゆりかより成績よかったやったぁ!www」

私「えっなにいきなりw」

友人D「ほら、アジア人は天才の集団…?みんな頭が良い…?あっゆりかは違うか、平均的だもんね」

私「うるさいわむしろ平均より高いわ」

友人D「おっ自慢?自慢?日本人なのに?」

友人D&私「wwww」

 

他にもいろいろ冗談は言われるけどシチュエーションによっては「は?」とまではいかなくても「ちょっとやめて?」「ごめんごめん」と言える仲だからこそ楽しい。

「この発言のなにが悪いのかわからない」と訊かれたら説明はせんでもないけど、わからないなりに二度と言わなければ良い話です。言われた人が嫌ならそれはりっぱな理由になります。だからブラックジョークが無理な人の言い分もわかるし、人種や民族に関する冗談を言わなくたって立派な会話が成立するので、そういうジョークは言わなくても良い、という風潮もわかります。

ただ私のなかで完全になくなる未来はみえないので、対象となった特定のグループの人たちがどうやって折り合いをつけるかどうかの対応力は身につけるべきだと思っています。

 

街中でヘラヘラ笑いながら「ニーハオ?ニーハオ?HAHAHA」と話しかけてくる他人には断固として「…こんにちは」と返すし、

「中国人なの?」と訊かれたら「あ〜違いますね〜。惜しい。アジアの他の国、どれでしょう?」と訊き返すし、

「よくK-POP聴いてるけど韓国語わかるの?」には「いや全然わからないけど勉強したいなぁ(ニコニコ)」と答えるし、

「どこ出身なの?」と訊いてくれる人にはそれが何回めでも「日本だよ〜」と言うし、

日本語訛りを装って話しかけてくる人には正しいドイツ語でハキハキ返す。

あと最近はK-POPのグループを友達に見せてまわっているけど、メンバーの見分けがつかないのなんて当たり前である。「この前私がかっこいいって言ってた人どの人だっけ?」と「この人の名前なんだっけ?」には初めの方こそイラっとしていたけど本当にどうしようもないというかしょうがないのである。心理学の授業で習ったし実体験なんて数え切れないほどあるけど、違うエスニシティの人の顔を見分けるのには慣れが必要。こちらとしては何が何でも布教したいので(言い方)何回もみせて何回も教えるのみである。

 

ふと思ったんだけどこれアジア人もとい日本人の印象じゃなくて私のキャラなんじゃね…?いや絶対そうだよね…?

 

 

論文をかいているフリをしたい

一向にお尻に火がつかないのでやきもきしている状態です。プレゼンやレポートは前夜にほぼ徹夜でやるスタイルだったので、資料をたくさん読み込んで整理して自分の考えを導き出しまとめつつ規定内に書き上げるという初めての論文形式の課題の取り掛かり方がイマイチよくわからない。今までのレポートといえば、あるテーマについてある程度調べて体裁良くすればどうにかなっていたところがある(っていうかそこだけ)(成績も第一印象をひっぱりつつノートテイクと授業態度で稼ぐタイプ)のでこれだけの大仕事をやっつけられるスキルが今の私にはない!!!

ので同じリビングで母がくつろいでいるなかワードを開いたまま硬直していると不審に思われて「なにやってるの?」とお声がかかりました。

だからとりあえず最寄りの図書館に引っ越してきて文章を書いています。論文ではないんだけども。

図書館までの道のりが時間に換算して30秒ぐらいなんだけどなぜ天はその30秒の間だけ雹を降らせたもうか…顔が痛ぇ…

 

夏休みに入る前に先生方や周りの大人にいろんなアプローチの仕方を教えてもらったものの、お題を結構前に提出したので興味が失せていて(自業自得)図書館で借りてきた資料を開いてもなにも頭に入ってこない。なんかもっと他にあったでしょうよ過去の自分。なにが楽しくてこんなテーマ選んだ?先生が詳しいし勧められたからだよな、自分の興味ある分野とちょっとかぶってたもんな、背伸びしてみたくもなったよな。アホか。そもそも学術的な専門的なテキストを読んだってさぁ、ときめかない分野についてだったらさぁ、眠くなってくるじゃん…こう、何回同じところ読んでも内容がはいってこないやつ…

終わったらワードA4が40枚ぐらいになるはずなんだよなぁこれが…

秋に新年度が始まる前にふた晩かけて第一稿を書いたはずがその後は案の定放置していて今に至る。やっつけ仕事かよって。一読した後の担当の先生の顔を見れば落第ギリギリな内容だったことが知れる。最終的なしめきりは来年一月末とはいえそこまでに先生と話し合いを重ねつつベストな成績を目指してできれば一項ずつ提出するはずがもう二ヶ月丸々無駄にしてしまった。これ、日本語で『自業自得』ってやつです。

 

自分が誘惑に弱すぎるダメ人間だと認めるのにかれこれ18年ほどかかったわけだけど、自覚したらなんか変わるかと思ったら大間違いだった。(だろうな)(絵に描いたようなダメ人間)

どうやら自覚だけではなく「変えよう、変わろう!」までたどり着かないとどうにもならないらしい。(ですよね)

そして母曰く「ラクなほうばかり」選んできた私にはどうにも危機感がわかない。もちろん自己嫌悪の波が度々襲ってくるんだけど、そこまで由々しき事態だとは実は思っていないのかもしれない。ここまでのどうにかなった率が高すぎる。ギリッギリまで放っておいて期日直前のストレスとアドレナリンとカフェインに任せっきりなのも客観的にはどうかとは思うがそれでどうにかなるなら他の時間は楽しく過ごしたいじゃん?(絵に描いたようなダメ人間)(10秒ぶり二度目)

図書館で横に座ったおばさんが一人でこそこそ音読し始めて表情筋がつらいなう。スペイン語の絵本をそこまでノリノリで読まなくても…いや楽しそうでよかったっすけど…

今年こそは大学前最後だから頑張って勉強しようと思っていたし今も思っているけど現実逃避が楽しいのでまるでやっていられない。(絵に描いたような以下略)

ラテン語を習うことも今後ないだろうし英語もフランス語も極められるチャンスだし計画的な行動や対人関係においても学ぶことはたくさんありそうだしレポートもプレゼンも論文も卒業試験もどんどん迫ってきているなかアイドルの動画をみてヘラヘラ笑っている人がいたらそれは私です…

趣味、現実逃避。特技、自己嫌悪。

 

進路もとりあえずな感じには決まっているけど、同じところを全力で目指してくる人もいるかと思うと気が引ける。春までにやりたいことが見つからない場合は働いて家にお金を入れろと母に言われるぐらいいろんなことに関してやる気がないらしいよ私は。

 

ここで一生暮らすのかなぁとか日本に帰って働いた方がいいのかなぁとかそれこそ大学は出ておいたほうがいいよなぁとかいつか志ができるのかなぁとかいろいろモヤモヤしている。

 

偏見ってなかなか消えないから「音楽で海外留学」の時点でお嬢さまだと見積もられたりしてきた中(本当にそんなことはないので勘弁してほしい)「とりあえず音大出ました」なんて、人によっては「ダラダラしていた」「遊んでいた」と同義語だったりするというのも知っている。

日本のメディアに取り上げて頂いたこともあるので名前を検索するといろいろ出てきますが誤情報や赤の他人のコメント等がいろんな意味ですごくて本物の芸能人の方たちに畏敬の念を抱いております。なんかもう面白いもん。その節はみなさまありがとうございました。

 

 

実際私の場合はダラダラ続けていると言っても過言ではないんだと思うよ。特にやめる理由がないというか他にしたいこともないのでずるずるやっている感があるし最近はその感じが周りにも伝わっているらしい。

 

絵に描いたようなダメ人間が絵に描いたように人生に悩んでいる話。脱線しまくり。

 

ではせっかく図書館に来たのでとりあえず本を読むことにします。

帰りに論文の資料借りて行こうかな〜、いやでも家にいても何もしないしな〜、どうしようかな〜…

(だからダメなんだ感)

 

 

 

なにがどうなってそんなことになるのか

(注釈の正しい付け方がわからないので米印の説明は一番下にあります。)

 

『嫌い』という言葉をなるべく使わないようにしている今日この頃。

『合わない』があっても『嫌い』はない気がする。私がとことん『合わない』人や物だって他の人が『好き』かもしれないよね、という思考回路に基づく。そもそも合わなかったらそれ以上深入りしないし『嫌い』まで至らない。

『嫌い』って言葉、強くない?そんなにイヤなことあるかな?私はない。

(あと、『合わない』人に直接「あなた合わないから無理」とか言わない。距離を置くなりなんなりする。これ大事。)

 

だから私にはネットで特定の個人の悪口を書き込む人の心理がわからない。素性を掲げているいるならまだしも、関わっている人や知人がみたら気分を害するような投稿はどうかと思う。匿名でも俎上にあげている人への配慮は必要だと思う。

ネットの危ないところは一度アップしたら二度と消えないところなのかもしれない。システムの中に組み込まれてしまった以上、記録に残る。自分がコンテンツを消したとしても足跡は消しきれない。素人だからとかそういう問題ではなく。

自分の意見だからいいじゃん、という言い訳が通用するかどうかを見極めるのも難しい。(参考:図書館戦争シリーズにおける砂川事件)

 

特にアイドルを追うようになってからはネットでの言動に気をつけているんだよね私、エゴサが主流になってきているご時世だしね…そしてモンペオタクだからポジティブな意見しかアイドルの目に入って欲しくないんだよね、大っぴらな批判はただの悪口だと思っているからね…批評と批判は違うからね…個人的な解釈だけどね…小さなダメ出しや意見は本人に直接言おうね…エゴサ以外にも興味を持った人や各業界の関係者さんたちが調べたときになるべく印象良くしたいからね…

 

そして。

今回GOT7※1のカムバックを初めて応援させてもらっているのだけども、ジャクソンに対して「グループを抜けろ」だの「どうせ一人の時の方が楽しいんだろ」などと抜かす輩がいる。本当に馬鹿馬鹿しい。それでもファンだと名乗っている人がいるんだからつくづく人類は終わっている。

7人のメンバーそれぞれのソロ活動が軌道に乗り始めている中※2、前々から韓国や中国圏のバラエティで人気だったジャクソン。今年中国でソロの歌手デビュー(ラップ系)をしたあと日本での活動休止※3を発表して、そのあたりから特に風当たりがが強くなったのではないかというド新規ファンイコール私の推測。でもそれがどうやったら「グループから抜けろ」ということになるんだろうか。どうせ一人で成功しているんだったら他のメンバーなど必要ないだろう、とでも言いたいのだろうか。

 

では聞く。

 

だからなに?

 

ジャクソンがソロ活動することによってグループ全体になんらかの支障がでた?メンバーが欠席していると格好がつかない?じゃあ例えばJBが怪我で出られなかった時も同じことを言ったのか?どうせ欠席するなら辞めろよって?

一人だけ売れるなって?いろんなメディアに呼ばれ続けるジャクソンの努力と気配りは当たり前なのか?芸能界ってそんなに簡単な場所なのか?

違うだろ。知らんけど。

今のジャクソンがどうであれ事務所やメンバーのサポートがあってここまできた。んだと思う。

 

たとえどんなに思うところがあっても、ジャクソンの立場を理解できない第三者にジャクソンを面と向かって傷つける権利はない。ましてや本人が出ていてリアルタイムでコメントを読んでいる生配信に悪口を書き込む必要なんてない。負の連鎖。最新のGOT2DAYで本人が「コメント読むのがトラウマになっちゃったから…」と冗談のように言っているのが悲しくて悲しくて泣けてくるよ私は。

 

自称ファンがそうすることによって他のメンバーがどういう気持ちでいるか想像した事があるのか。

自分に近しい人が目の前で傷つけられたらどう思うのか。

 

比較するのはおこがましいけど最近似たような事があった。仲の良い友達のことを傷つけたクラスメイトのことを、私は絶対に許さないし二度と信用しない。

 

特に今回は『7』という数字のコンセプトがメインであるというのに。本人たちが「僕たちは7人で一つなんです」と言っているのに。7人でガッセだということを本人たちに言われないといけないシチュエーションがどんなにアホらしいことなのか考えてみてほしい。言われても理解できない自称アガセ※4がいるかと思うと蕁麻疹がでそう。 そんなに特定の一人が嫌いなら見なきゃいいのに。逆に特定の人だけのファンならその人だけを見ていればいいのに。変に波風立てないでほしい。

ジャニーズであったいろんなことを思い出す。メンバー脱退だの活動休止だのって、どのグループもその時その時最善を尽くしてくれたし出来るだけ自分たちの思う丈を公表してくれた。ただね、それは変化があってからの話。

そんな予定はないのに、ギャーギャー騒いで悪口言って。そんなことで注目浴びて楽しい?

 

結論としてそんなことする人とは『合わない』。『嫌い』に限りなく近いけど『嫌い』だと言えるほど深入りしたくないし関わりたくない。勝手に仲間内で盛り上がっていてくれ。

 

言っとくけど某手越氏にみたいにメンタル強いアイドルそうそういねーかんな。 

 

私だって愚痴りたくなる時あるよ。でもバレてもいい範囲でしか陰口は言わない。バレても困らない相手しか俎上にあげない。(参考:人付き合いのコツは人を信用しないことby柴崎)

自分にとって大事な人だったら面とむかって批判する。私だけかもしれないけど。 

 

基本的にココロのキャパシティがいろんな意味でやばいのですぐ泣くしすぐ笑うけどここ数週間はGOT7のおかげで楽しいし笑顔になれるので特にbias※5ジェクスンには幸せでいてほしい。キラキラしていてほしい。

 

 

『好き』がどんどん増えていっている。現実がみえない。

 

本当に面倒臭いミーハーに成れ果ててしまったよ、私。

 

 

※1:韓国で2014年にデビューしたJYPエンターテインメント所属の多国籍アイドルグループ。 男性メンバー7人。ガッセブン、ガッセとも呼ばれる。顔が良い。歌って踊る。キャラが豊富。ちなみにジャクソンのローマ字表記はJackson、香港出身。顔が良い。わんこ。今年10月、7ヶ月ぶりにグループとしての活動を再開。

※2:作曲作詞して楽曲提供(主にJB)、歌手として他のアーティストとコラボ(主にヨンジェ)、ダンスの大会で一位(ユギョム)、モデル業(主にマークとベンベン)他にも俳優として映画やドラマに出演(主にジニョン)。

※3:スケジュールの関係と本人の体調管理のためこれからの日本での活動はジャクソンを除いた6人ですることになった。EXOの中国人メンバーが抜ける前も先行して日本のプロモーションに参加しなかった経緯があるため心配が募る。

※4:IGOT7。アガセ。GOT7のファンの名称。シンボルは小鳥でファンカラーは黄緑。

※5:直訳で「偏見」。インターナショナルなK-POPファンが使う用語で、日本オタク語の「推し」にあたる。

10周年だから言いたいこと

ヨーロッパに行きたい!と意識的に判断したのは覚えてないけど、小2の頃の私が流れに身を任せた結果今に至る。

 

ドイツ語はもちろん英語も全然できないなか当たり前のように現地校に転校、初めの半年ほどは泣いて過ごしていた。らしい。周りの人が言っていることが一言もわからないから泣く、慰めにきてくれるクラスメイトもドイツ語だからそれもわからなくてますます泣く。学校全体が多国籍だったので(思い出せるだけで15カ国の子供達がいた、ちなみに日本人は弟と私のみ)馴染むのに時間がかかったほうではあるのかもしれない。その頃の同級生や先生方のサポートもあり今ではドイツ語も英語も割と流暢に話せる。と思っている。語学学校に通ったことはありません。

「ドイツ語ネイティブじゃん」と言われるより「海外で育ったにしては日本語上手だよね」と言われたほうが嬉しいかもしれないけど複雑でもある。読書のおかげで読めるし家で日本語を話していたおかげでコミュニケーションはとれるがそれでも「海外で育ったにしては」という枕詞はきっと一生取れないからだ。わざわざ言われるということに関して ① 私の日本語に違和感がある ② 思ったより上手い のどちらかの解釈が当てはまるのではないかという気がしているのだけれど見極められない。①だった場合は私の勉強不足だし皮肉な香りがしてその場の全員が残念。②だったら期待値が低かったことが残念。だからなんだよみたいな話です。いつか正しい敬語と小学校中学年で止まっている漢字を勉強したい。

ちなみにワンダイレクションにハマっていた時は英語が上達したしジャニーズを追い始めてからは日本語の幅が広がっています。

 

振り返ってみて初めてのカルチャーショックとキャラ変は『自分から行かないと何もできない』ということを学んだとあるワークショップの時。あるテーマについて勉強したことを数人ずつのグループに分かれて自分たちのラジオ番組を作ろう!という企画があって、「はい、資料集める人〜?」「台本書く人〜?」「機材取りに行ってくれる人〜?」と次々係が決まっていくなかまた取り残されていく自分がいた。

欧州だからなのかそれに加えてドイツ語圏だからなのかわからないけど、同年代の子達の自己主張が強かった。日本でも別に引っ込み思案とかシャイとかではなかった気がしていたんだけども(むしろ元気で強引な方のキャラ)、引っ越して来てから競争率というか闘争心(?)みたいなものに負けっぱなしだった。言語ができないことを引け目に感じていたし、「これやりたい!」「私がやる!」という精神が周りに比べてなかったし、どちらかというと「あっじゃあどうぞ」と譲る又は諦めるのが性だった。そのワークショップの前も学校で班行動の時に発揮されていて、「ちょっと違うな」とは思っていた。当初ドイツ語のできない転校生だったからかクラスメイトや先生に気を使われて渋々割り当てられたことをこなすぐらいしかしていなくて、これではダメだな〜と。当時は無意識だけど。日本の小学校では周りの消極的だったり合わせたりしていた同級生との相乗効果でいわゆる面倒くさい女子になり得ていたんだなと。あと言葉の壁は高くて厚い。

ともかくそのワークショップの時、私は自ら立候補してみんなのラジオ番組の司会役をした。いきなりすごいことしたよ私、気づいてる私?その場にいる誰よりもドイツ語歴が短かった自信がある。結果的に楽しかったしやりきった感あったしある種のターニングポイントになったのは間違いない。

 

言語やスタンス以外に慣れるのに時間がかかったのはジロジロみられること。顔がザ平たい顔族なので、今よりよっぽど現地在住アジア人が少なかった当時は「みられている」と感じることが多かった。子供心にも居心地が悪かったこともあったけど、向こうからすればただの好奇心だったんだろうな。2017年現在においてそんなことはもう全然ない。白人じゃない人口の割合が圧倒的に増えたし、観光客も日に日に多くなって来ている気がする。友達の地元の村とかに行けばまだまだみられるけど、目を見てにっこり(オプションでハキハキ挨拶)、愛想を振りまくことにしている。

前回一時帰国した時に「ねぇ、日本で外国人見かけるとなんか安心しない?w」「するする!」と弟と共感しあった。目がアジアに慣れていないのか。なんやねん。

 

愛想といえばアレだ、日本人いやアジア人全員に『旅の恥はかき捨て、じゃねぇ!』ということを伝えたい。見た目だけですでにアジア全体のイメージを背負っているつもりで海外に出て来てほしい。「あれは〇〇人だから…」なんていうのは黄色人種の見分けがつかないヨーロッパ人には通用しない。頭のカタい保守的な考え方(ナショナリズム的な意味も含め)をする人なんて各時代各世代にいるんだから、一度公共の場でアジア人が迷惑をかけたりしたらそれがアジア全体のイメージに繋がり得ないことを常に意識してほしい。ぱっと見日本からのツアー中だとわかったおばさま方が地下鉄の駅で座り込んで自分たちの脚をマッサージしているのを見かけたときは恥ずかしさで死ねると思った。大げさに聞こえるかもしれないけど、あの人たちと同類だと思われたくないと思った。普通にお行儀が悪いでしょうそれは。旅先で無作法であることが現地に住んでいる平たい顔族の対人関係、人間関係に関わってくる可能性を秘めているのに気づいてください。『立つ鳥跡を濁さず』です。個人的に数年前「日本のイメージ良いよ、ゆりかがいい人だもん」と言われてから特に気をつけている部分です。

弟は現地の国籍を取ることも考えているみたいですが、「もし国籍が変わっても見た目は一生日本人だから立ち振る舞いへの気の使い方は変わらないよね(笑)」と言っていました。(※ニュアンス)意識して気を使っているというよりは自然にそうなっています。そしてそれが理想だと思います。

あと十月から公共の場で顔を覆うベールの着用が禁止される前からマスク付けている人は浮いていたことを書き残しておく。周りをみてください、って言いたかった。『郷に入っては郷に従え』、よろしくお願いします。ついでにいうと姿勢良くシャキシャキ歩いてください。よろしくお願いします。

 

父曰く「将来的にはグローバルな人材になって世界を一つにしていくんだろうなぁ(冗談)」

 

…自分で言ったら終わりですができれば無意識に国際感覚が育めれていれば良いな、気張らなければ。

日本人であることを誇りに思いつつ気負いすぎずに早く進路を決めたいと思います。(遅い)

 

他になんか思いついたら追記しよっと。今はとりあえず寝る。

 

初めてサボった

サボるのは別に初めてではない。(タイトルとの矛盾)

私の中の【サボる】とは肉体的には活動できる状態であるのにやらない又は行かないということであって、学校や習い事を本当の理由を伏せて休むということ。

ただ母が特に理由も聞かずに「行きたくないなら無理に行かなくていいよ。どうする?ケーキでも食べに行く?ってか学校やめる?」みたいな人なので、自業自得で課題を終わらせられなかった期日とか小テストの日とか単にだるい日とか、たまーに、たまーーーにだけど親公認で休んできてたけど、日本でいう高校三年にあたる今年になって…

誰にも言わずにふらっと休んだ。

ふらっと、というのは適切ではないかもしれない。でも朝は学校に行く時間に学校の準備を整えて、家を出てから学校に向かわなかった。その前の晩にみた映画の影響もあり、自分の置かれた状況や悩みを思うと楽しいはずの学校で人と過ごすのが嫌だなぁと。普段は友達とワイワイしたりアイドルの動画みたりでまた安定するんだけど、今朝はそんな心のキャパシティがなかった。何も理由がないのにいきなり涙が溢れ出てきたり泣き寝入りしたりするのは特に珍しくもないんだけど、なんだか今日はいっぱいいっぱいだった。

ベッドに潜り込んだ時から涙を流しながらサボる計画をたてていた。そしてその計画の周到さ等で自分が怖くなった。なんでまた平日に面倒臭いことになってんだよ自分。

 

ここからは思考回路順に追ってみる。

1、モヤモヤしているのを家族には言いたくない

→ 今となっては習い性となった表向きの演技で登校する体裁を作り、何事もないかのように家をでる。

2、どうしても家族と行動範囲が同じなのでバレにくいところで終業時間まで時間を潰さなければならない&お金がかからないところが望ましい

→ 習い事先の施設に休憩スペースがあって格安のコーヒー自販機があるのでとりあえずそこまで移動する。学校のものは持って来ているので課題で気を紛らわせられる。(結局主にボケーっとしてた。)

3、時間差で母が仕事にでるはずなので数時間で家に帰ってくつろげるのでは?

→ 緊急事態発生、時間を見計らって家の前まで来たところ電気がついている。母はシフトが入っていなかった模様。その場で足音を殺して駅まで引き返し考えたところ灯台下暗しということで開いたばかりの図書館へ向かう。超近所。適当に本を見繕って通路や外から見えにくいところを陣取る。(何しろ知り合いの多くは学生だしいる可能性無きにしも非ず。顔見知りレベルの人でも進んで会いたくはない。時間的に。)

4、何しろ家に近すぎるので終業時間プラス通学路にかかる時間を計算してやっと帰宅

→ 学校生活の話や自分が泣きださない自信のある話題以外は避けつつなるべく黙る。

5、普段の過ごし方にもどる

→ 食事宿題練習アイドルの無限ループ

 


なんかずっとまるで追われているみたいな気持ちがあったけど、悩みの源のひとつである家族と同じ屋根の下にいない、かつ、自分だけの時間が持ててよかったというのが率直な感想です。週末や空き時間でも良いのではないかとか学生としての責任や自覚が足りないのではないかとかは本当にどうでもよくて、結果として気持ちに一段落ついたのが大事です。そこまで考え事をしていたわけでもないし、解決法を編み出したわけでもないけど、なんか少し心が軽くなった。今までも精神的にダウンしてんなーって時期はあったけど、今回は落ち着くのに時間がかかっただけなんだろう、たぶん。

本当に自分が怖くなったのはここからの話。もともとハッタリが効くほうだし誤魔化すの得意だし外面がいいのは自覚していたけど、ここまでだとは思っていなかった。友達には精神的に具合が悪くなったので登校できるかわからない旨を前もって伝えてあったし、「いってきます」や「ただいま」がさらっと言えたし、その間の会話も家族友達関係なしに違和感なく繋げた自信がある。ここまでは別に普段でもやってる。

でも場所とタイミングのとりかた、行き先での陣取りかた。「こうすれば見つかりにくい」を前提にもっとたくさんのディテールに頭がいく自分のずる賢さに才能を感じた。今日は雨なので下校中は濡れるに違いない→まっすぐ帰るのではなくて遠回りしよう、とかなんにもない日には考えねーよ。いや考えてたらなにかが間違ってるよ。

学校が私服なことに加えて18歳から法的に成人なので欠席連絡は自分でできることも大きいのだと思う。(次に登校したときに自己申告すればいいとかゆるさが激しすぎるでしょ。)

日本にいたらまた全然違うんだろうなとも思う。

もしバレたらいやすでにバレていたら信用問題に関わるのだろうし心配されるのだろうけど、まだ特になにも言われてないのでなかったことにする。杞憂かもしれないけど今のところバレてないと思う。「思い過ごしでしょ」「気づかないわけw」とか言われそうだけど案外気づかないのかもしれないし気づいていても言わないだけかもしれないけどね。客観的にみたらチョロいのかもしれないけどね。でもそういう問題じゃないからね。

 

我ながら自意識過剰で多感な時期なんだと思うよ…涙もろくもなるよ…

初自作自演サボりデー。

これでしばらくは落ち着いて該当人に接することができるはず。卒論と卒業テストの勉強ができるはず。

 

眠いけど本当は今日までだった宿題とかもやってないから早速徹夜かな〜!自販機のまずいコーヒー二つ飲んどいてよかった〜!

 

あーあ、今日もアイドルの顔が良い!!!!!!

チョロいミーハーであるということ

について私のケースを淡々とまとめたい。

「オタク気質だよね」と言われて自覚した後は全てが沼にみえてきたというか沼なので許してほしい。広く深く網羅したい。ハマったらその時に極めたい。

基本的に顔の整った人やスタイルが良い人が男女関係なく好き、二次元として眺めている時間が好き。というか現場に行ける機会がないのでほぼ二次元だと思っている。というか二次元。同じ次元の世界にあんな人たちがいる、と考えたところで思考停止するだけなのでいろいろ諦める(ここら辺からちょっとオカシイ)。

 

初めてジャニーズにハマったのが2013年、原作が今でも大好きな図書館戦争の実写版の映画の堂上教官が堂上教官だったので(語彙力)調べたらジャニーズだった。

そこで岡田准一氏のかっこよさに気づいた私はそのままV6の画像と動画を漁りまくるうちに「ジャニーズって嵐のことでしょ」というざっくりとした素人な考えにより嵐に転向(メンバー一人ずつマイブームな時期があって二宮氏に落ち着く)。

いろんな番組を見ているうちに関ジャニ∞に目がいくようになって「関西弁だし」という謎の親近感を感じる(大倉氏と安田氏を経て錦戸氏、と思いきや虹色エイターという単語がしっくりくる)。

そこからデビュー順や世代を飛び越えてたどり着いた先はHey!Say!JUMP、初めて『担当』という概念を学習する(山田氏のお顔がお美しいのを百以上は承知した上での知念氏、そこからのちびーず)。

「えっちびーずがいるのってHey!Say!JUMPだけじゃないの?」からのSexyZone(迷わず自分の中の母性本能をかき集めて松島氏に堕ちる)。

某チューブの誤クリックでたどり着いたまいど!ジャーニ〜は関西ジャニーズJr、ジャニーズJrは関西から入ったタイプ(大西流星氏が弟と同い年だという事実を受け入れるまでしばらくフリーズする、なにきんには幸せになってほしい、あとFunky朝田氏もとい姐さんの顔が素晴らしくタイプ)。

少クラ等をみるうちに見覚えがあるJrを発見(スプラウトとか49にいた人たちがほぼ同年代、いろいろ物色した結果として松村氏がツボ、松松が報われてほしい勢)。

バカレア組SixTONESに関してはスプラウトのJ2が入り口だったわけだけども『担当』よりやっぱり『オンナ』なので現時点ではジャニーズ全員把握したい松村北斗のオンナ、という自分の中での認識。

 

…となっているうちに日本の文化というかなんというかにも興味が出てきたというかジャニーズが流行最先端のネタを提供してくれるのでなんとなくついていけるようになったというか。

ついでにいわゆる若手俳優と言われるイケメンの皆様もちょっとチェック。

あとこの数年を通して私の中の女子が覚醒とまではいかないまでもうっすら意識が出てきてメイクとかファッションがマシになった。あくまでも『マシ』。

あわよくば派のミーハーなので百万が一の時にアイドルの隣を歩くようなことがあってもそこまでダサくない人になるように努めている。いろんな楽なダイエットもよく三日坊主している。特に一時帰国中は毎日おしゃれをして外出している、だっていつアイドルに遭遇するとも限らないし。

ジャニーズの前は、前だけじゃなくて今も、デビュー当初からワンダイレクションが大好きで、いわゆるライブはワンダイレクションとオリーマーズしか行ったことがない、ジャスティンビーバーとリトルミックスは参戦しなかった後悔がすごい、来年はエドシーランのチケットをもうとってある、洋楽好き、邦楽も好き、音楽は割となんでも聴くけどメタルだけは馴染めない。

一番新しいマイブームはTWICEの流行に乗って踊りたくなることとGOT7に惚れたこと(文章力)です。K-POP楽しいので韓国語を勉強したいけど時間がない。GOT7の動画にボケーっと見惚れるヒマはあるけど新しい言語を習得する時間はない。ジレンマ。

 

作文は苦手です。

 

 

 

 

 

できないものはできないんです…たぶん

作文が苦手すぎて、克服しようと自分用に立ち上げたこのブログも結局全然続いてない…というか日記とか手帳も難しいのにブログできるわけあるかよみたいなアレはある。本が読むのが大好きなので自分で物語をしたためてみたことも数え切れないほどあるし、血迷ったのかなんだか知らないけど詩とか作曲込みの歌詞も頑張ってみたことあるんだけど、それぞれしばらく落ち込むぐらいには出来が悪かった。ほぼ全部捨ててる。

そもそも何かを創り出す、生み出すという行為が控えめに言ってうまくない。

学校で一学期だけやったヒップホップダンスも、自分がヴァイオリンで演奏するカデンツァ(自分のテクニックの見せ場を本当は即興でその曲のテーマにのせてつくるとこ)も、自分で創作や作曲となると思考が停止する…のでそこはなるべく避けて通ってきました。他の誰かの振り付け、他の誰かの曲を追うので十分満足する、ちょっとしたアレンジならどうにかなるし

有川浩さんのストーリーセラーに出てくる『世の中には、物語を「愛する人」と、物語に「愛された人」がいる。すなわち、読む側と、書く側。残念ながら、どちら側の人間かを自分で決めることはできない』がまさにどんぴしゃです。

できる人が羨ましいし尊敬する、とはいろんなジャンルの芸術に関わらせてもらう分にはよく思うけど、無理してできるようになるようなもんでもない…でしょ…?

 

 

決して『想像力がない』わけではない。周りにはそこまで考えなくても気が使える気でいるし(要するに外面はよろしい、空気は読める)、ホラー系やスリラー系だけは本でも映画でも手が出せない(普段の家とかの景色に怖い画を重ねてしまうやつ、視覚的な想像力?)。ただ、自分で考えていくうちにたどり着いたのが、

 

それもある種のアレンジなのではないか、ということ。

 

ここからは完全に個人的な考えになります。

周りの人に気が使えるというのは「自分がそのシチュエーションだったら何が必要か」という発想の転換だからできる。例えば食事の場にいたら「飲み物がなくなったらおかわりが欲しくなるだろう」「手を使って食べる料理があれば手を拭けるもの又は洗いにいくきっかけがいるだろう」というところを無意識のうちに思っていて、一緒にいる人たちに反映している、みたいな。コップが空になっている人がいればおかわりしたいかどうか、何か飲みたいものがあるか訊いてみたり、手が汚れている人がいれば綺麗なナプキンやおしぼりを渡してみたり。結果として『気が利く』という周囲の評価につながる。自分で意識的にコントロールできるタイプのアレンジ。

怖い話だって、登場人物に感情移入するから怖いわけであって、完全に客観的に物語を楽しめる人なんて私は会ったことがない。もともと気持ちの切り替えは下手くそだし涙もろいけど、そんな中もし自分が一人でいる時に人形が話しかけてきたら怖いし、大事な人は失いたくないし、まぁそんなとこ。ほら、私、ガラスのハートだから?(自分で言う)これは自分ではコントロールしにくい範囲のアレンジ。

どちらのケースにしてもすでに自分が感じたことがあることや自分がその場にいたらどうなるかどうしたいかという思考回路に基づいているので、自分が生み出したことにはならない。飲み物がないと喉が乾く、なんて今に始まったことじゃないしね。

 

ところが、各ジャンルの芸術家に創作をする人が存在する。

何もないところから始めて、形にしていくのを生業としている人々、俗にいう『天才』。

ファンタジーやSFの世界が一番わかりやすい気がする。物語とかいてサーガと読ませるような壮大でフィクションな世界を他の人たちにわかるように表現するのがどういうことなのか私には理解できないし、できる日はたぶん来ない。スターウォーズでも守り人シリーズでも、私たちのいる日本や地球には(この次元には)存在しない場所、人、彼らの文化と歴史がある。それらが紡がれていく様は本当にアートだし、やっぱり誰にでもできるわけじゃない(少なくとも私はできない)。

創る側の人たちには本当にその世界が存在するのかもしれない、私にはみえていないだけかもしれない。だけどそんな私も行ってみたいような世界を行ってみたくなるような伝え方で伝えようと思ってくださった心意気と技に感謝しきれない。だって私は自分一人の力ではそんなところに行けないから。活字や絵や映像を通してその世界を垣間みえることが、みせてもらえることが、嬉しくてたまらない。

 

カフカは生前誰にも自分が書いたものをみせたことがなかったらしい。彼の死後、親友に勝手に出版されてしまった。むしろ親友の人に言いたい、世界の文学に貢献してくれてありがとう。

モーツァルトの直筆の楽譜にはほとんど修正の跡がないそうだ。音楽が常に頭の中で流れていて、洪水のようにあふれでるものを書き留めているだけだから、とどこかで読んだ気がする。でもそれを自分で弾いて発散するだけではなくて、書き留めて、他の人にもシェアできる勇気(?)があるのってそれはそれで別の才能なんじゃないかと思う。カフカと違って自信がちょっとありすぎた類の変態な人だったらしいけど。

良いんだか悪いんだかわからない例がパガニーニ。悪魔と契約をしたのではないかと疑われるほど素晴らしいヴァイオリン奏者であった彼は、一人でいる時にしか練習しなかったし、自分の演奏会の客のなかに音楽家がいないように気を配りすぎるほど気を配っていたらしい。自分の技術や音楽が真似されないことに必死になった結果として身分の高い奥様達にモテすぎて彼女らの旦那さんたちに訴えられたのちしばらく牢屋行き、というエピソードがあるぐらい。だって彼のように弾ける人は彼しかいなかったんだもんねぇ。かっこいいよねぇ。それは旦那さんを放ってでも…あっ…

音楽史的にいうとこういう人たちは早死にするんですけどね(モーツァルトは35歳で亡くなった)…周りにいる音楽家でも才能が抜きん出てる人ってちょっとそれ以外の人間的な何かが欠落してたりするんだよね…

 

少し脱線してしまったけど、まとめると

創作家の人ってすげぇな

 

努力すればなににでもなれるっていうよね、

私だって楽典をもっと勉強すれば簡単な作曲ができるようになるだろう。

でも閃きがないから、新しい道を切り開くことにはつながりにくいんだろうな。

新しいことを学べば閃きにつながる可能性は高くなるかもしれないけど、

面倒臭いのでやる気がある人たちに一任したいと思います。

私の知る限りそういう人ってそれやってないと生きて行けないから。

私が努力で追いつけない高みにいるから。

 

偉い人エジソン曰く『天才は99%の努力と1%のひらめき』。

  

未だに進路が決まらない上に悪い意味で小器用な自分をねぎらってあげたい。

自分が決めたことに向かって努力するということの意味を知りたい。

 

小生意気で開き直っているゆりかでした。